Wednesday, December 24, 2003.  茶道の名数(一、二、三にちなんだもの)

一期一会(いちごいちえ)
今日のこの茶会は、生涯にただ一度の茶会であると心得て、主客とともに誠心誠意をもって茶会に臨むべきであると説いた語。山上宗二及び伊井宗観の語。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)
初夢に見ると縁起がいいとされるものの順位。江戸時代の徳川家に因み、駿河国の名物を挙げたとも、富士は高天、鷹はつかみ取る、茄子は”成す”に通じるからとも言われている。

一井戸二萩三唐津
茶人が永年の経験により茶を喫するのに好適な茶碗に順位をつけたもの。和物茶碗を対象にした「一楽二萩三唐津」という言葉もある。




Saturday, September 20, 2003.  お茶のコラム vol.03

茶道の行事
@口切の茶事

「口切(くちきり)」という言葉をご存知ですか?「口切」は茶の湯の正月といわれ、茶家では口切の茶事は最も重要だとされています。ではその口切とは…

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茶壺を所持する茶人は茶師にこれを預け、茶師はその年の5月に採れた新茶を茶壺に詰め、梅雨や夏の間大切に保管します。壺には碾茶(てんちゃ)という状態で詰めるのですが、まず濃茶(こいちゃ)用の碾茶を小袋に入れて壺に収め、その周りに薄茶(うすちゃ)用の碾茶をギッシリと詰めます。蓋を閉め、その合口に茶師の封印を押します。壺の箱の裏側には何という銘のお茶がどれだけの量はいっているかを記した「入日記」という紙を貼っておき、11月に茶家に届けられます。茶家ではこの壺の封を切り、その年初めてのお茶をひきうすで引いて客に点てて出すのです。口切にそなえて畳を新しくしたり、下記を青竹にかえたり、茶道具やお菓子など全てが祝いの席にふさわしいよう入念に整えられるのです。口切とはすなわち壺の口を切るということです。

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封を切る瞬間は、主客とも喜びと緊張感であふれ席中には清新さとお茶の香りが漂います。壺の中で夏を越しじっくりと熟成したお茶はこの瞬間から新たな呼吸を始めるのです。




Wednesday, September 10, 2003.  茶人の逸話2 〜千道安編〜

お茶のコラム
茶人の逸話2 
〜千道安編〜

千利休には、道安と少庵という腹違いですが二人の息子がいました。歴史上、道安はあまり表には出てきませんが、茶の作意(さくい)はすばらしいもので、ときに利休をたじろがせたといいます。今回は、その道安が利休に叱られたお話です。
ある雪の朝、道安は雪の会を催して父利休を招きました。定刻に訪れた利休は、道安が畑の野菜を採って家に入ろうとしているのをみかけ、どのような趣向の懐石が出てくるのか楽しみにしていました。しかし、運ばれてきた椀には春には珍しい高級魚の鱸に、若菜が添えてありました。期待を裏切られた利休は侘び茶の懐石とは心を尽くしたわびの風流が第一であり、決して珍しいものを出すということではない、と道安を叱ったといいます。「南坊録」にも「食は飢えぬほど…」とありますが、懐石とは一汁二菜が三菜の軽々とした料理の中に心をもりこんでもてなすものである、という利休の教えでした。私たちの日常生活にも通じるものがあると思いませんか?




Monday, August 04, 2003.  千利休編---朝顔の茶会

お茶のコラム
茶人の逸話1
千利休編---朝顔の茶会

千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。
しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。
利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。


http://www.hoshinofurusato.com/tyanobunka/column01.html






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